2025年問題とは、超高齢化社会が引き起こす様々な問題を現した言葉である。
主な問題の中には、納税額と税金によって負担をする医療費のアンバランスが指摘されている。
この問題に対して解決、若しくは緩和させるためには、国民全員による意識改革を必要とする。
会社を定年をすれば、年金暮らしによって悠々自適な生活を送る考えが生まれたのは、昭和に入ってからの出来事だ。
江戸時代で活躍されていた方から見れば、笑われるかもしれない。
昔の方々の多くは、体が働けるまで働いていた方々も多くいた。
西洋では、人は生まれた時から何かしらの罪を背負い、罪を償うために働くと言う考え方が根付いている。
つまり、働く事に対してマイナス的な考えを持ち合わせているのだ。
その様な考えが浸透している海外からの指摘を受けて、週休二日制が導入されてきた一面もある。
2025年問題における超高齢化社会に対しての意識改革は、働く事に対して価値のある内容と見直す事も大切であろう。
働く事によって、自身に対する価値を見出し、自身の存在意義を感じられる様にもなる。
様々な刺激が脳を活性化させ、健康状態を保つ事も期待できる。
子供や孫と一緒に暮らせば、経済的に支え合う事にも繋がるだろう。
2025年問題における超高齢化社会時代では、医療技術が進歩をして、飛躍的に健康的な体を作りだしている方々も多くいるだろう。
時代に合わない定年退職と言う概念を捨てさえすれば、この問題を乗りきれる可能性も高まる。
そもそも、健康寿命とは人それぞれであるにも関わらず、定年退職を一律に決めてしまうのはおかしいのかもしれない。
日本全体で意識改革を進めながら、2025年問題を乗り越える方法を探らなければならないだろう。